晴れの日の光を浴びるのも気持ちがいいものですが、私はうっすらと雲が広がった日の空気も、けっして嫌いではありません。
影の輪郭がやわらかくなって、世界全体のコントラストがふっと下がる。
眩しさに目を細めることもなく、どこか守られているような、静かな落ち着きがあります。
前回は「晴れ」のルーツをたどり、心がパッと外へ開くダイナミックな古代の感覚に触れました。
それなら、その反対の「曇り(くもり)」はどうなんだろう。
空を覆う「雲(くも)」と、天気が「曇る(くもる)」。
当たり前のようにセットで使っているこの言葉ですが、昔の人は空が白や灰色に包まれる景色を、どんな思いで見つめていたのでしょうか。
気になって、また机の上に大和言葉の語源辞典や古い辞書を広げて、音の重なりをじっと辿ってみることにしました。
語源辞典を開いて見つかった、意外な「こもる」という響き
手元の語源辞典や『日本語源大辞典』を開き、「くも(雲)」「くもる(曇る)」の項目を丹念に追ってみました。
すると、江戸時代の国学者たちから現代の言語学者に至るまで、驚くほどたくさんの文献で一致して挙げられている説に出会ったのです。
それが、「籠(こも)る」や「隠(こも/くも)る」から生まれたという見立てでした。
部屋に閉じこもる、熱気がこもる、思いがこもる。
私たちが日常で使っている「こもる」という言葉。
大昔の大和言葉の世界では、「お」「う」の母音はとても近く、行ったり来たりしながら言葉を紡ぎ出していました。
・コモル(籠る・隠る) ・クモル(曇る・隠る) ・クモ(雲)
光を放つ太陽が、空の奥深くへと姿を隠し、包み込まれてしまう。
あるいは、水蒸気や大気の精気が、天の幕のなかにぎゅっと満ちて閉じこもっている。
そんな「大切な光や熱が、内側にそっと包み隠されている状態」を、昔の人々は「こもり」「くもり」という音で感じ取っていたのです。
雲は、光を隠す「帳(とばり)」だった
古代の人々にとって、太陽はまさに命そのものでした。
その太陽が姿を消してしまう曇りの日は、不安や寒さを連想させるものだったはずです。
でも、彼らが使った言葉は、「太陽が消えた」「死んだ」という絶望の響きではありませんでした。
ただ、雲というやわらかな覆いのなかに「お籠もり」されている。
神社で神職さんが一定の期間、社殿にこもって身を清めることを「お籠もり(おこもり)」と言いますよね。
外の雑踏から離れて、内側の静けさのなかに身を置き、力を蓄える時間。
昔の人にとって、雲が空を覆う情景は、太陽が天の奥深い部屋へと静かに籠もり、エネルギーを養っている神聖な時間のように見えていたのかもしれません。
遮られて暗くなったのではなく、内側にやさしく抱え込まれている。
そう捉え直してみると、「曇り」という言葉に宿る温度が、少し違って感じられてきます。
心が「曇る」という、静かな防御反応
空の様子だけでなく、私たちは人の心についても「表情が曇る」「心が曇る」という言い方をします。
疑いや不安、悲しみが胸をかすめたとき、パッと明るかった笑顔に影が差す、あの瞬間です。
でも、これも単に「悪くなった」と責めるような言葉ではない気がします。
心が晴れっぱなしで、いつも全開で外に向かって開かれていたら、人間はきっと疲れて壊れてしまいます。
傷つきそうなことや、受け止めきれない出来事に出会ったとき。
私たちの心は、自然と内側へきゅっと引きこもり、雲のような膜を張って自分を守ろうとします。
「いまは外の刺激を受け取らず、自分のなかに静かに籠もっていたい」
そんな心のSOSや自浄作用を、昔の人は「曇り」という自然の景色に重ね合わせて、優しく見守っていたのではないでしょうか。
曇ることは、決して悪いことじゃない。
心が自分の輪郭を守るために、そっとカーテンを引いているだけなのです。
晴れと曇り、呼吸のように行き来する
空には、晴れの日もあれば、どんよりと曇る日もあります。
そして、どちらか一方だけが永遠に続くことはありません。
ぐーんと胸を張って外へと開いていく「晴れ(はる)」の時間。
内側に静かに熱を蓄えて、じっと自分を休める「曇り(こもる)」の時間。
それはまるで、私たちが息を吸ったり吐いたりする呼吸のように、自然にとっても、人間にとっても欠かせない循環なのだと思います。
いつも前向きで、元気いっぱいでいなきゃいけない。
そんな風に自分を追い込んでしまいそうなときこそ、この言葉の原点を思い出してみたいのです。
太陽だって、毎日のように雲のなかに籠もって、のんびりとお休みしています。
人間がたまに元気をなくして、毛布のなかに丸くなって過ごしたって、誰にも文句を言われる筋合いはありません。
曇り空の下で、深く息を吐き出す
机の上の資料を片付けて、ベランダから見上げる空は、一面が淡い灰色に覆われていました。
風も止まって、街の音がいつもより少しだけ低く、柔らかく響いています。
「今日は曇りかあ」と残念がる代わりに。
「天がゆっくり息をひそめて、光を温めているんだな」
そんな風に思ってみると、鈍色の空がなんだかとても愛おしく、懐深い毛布のように見えてきました。
もし今日、あなたの心に薄い雲がかかっていたとしても、無理に吹き飛ばそうとしなくて大丈夫です。
あたたかいお茶でも淹れて、好きな本を開いて、自分の内側の静けさにそっと籠もってみる。
そうやって十分にお休みしたあとには、また自然と雲の切れ間から、やわらかな光が差し込んでくるはずですから。


