「ここが人生の転機でした」
テレビのインタビューや誰かの体験談で、よく耳にする言葉ですよね。
就職、結婚、引っ越し、あるいは思いがけない誰かとの出会い。
後から振り返って「あそこから流れが変わったな」と感じる瞬間のことを、私たちは自然とそう呼びます。
でも、前回の「天気」に引き続いて、またしても頭の隅っこがムズムズし始めてしまいました。
そもそも「転機」の「機」って、いったい何なんだろう、と。
機械の「機」でもあるし、飛行機の「機」でもある。
なぜ「転がる」に「キカイ」のような字がくっついて、人生の分かれ道を表すようになったのでしょうか。
気になって夜も眠れなくなりそうだったので、また書架から辞書や漢字の本をごそごそと引っ張り出して、そのルーツを辿ってみることにしました。
辞書をめくって出会った「からくり」という正体
まずは手元の漢和辞典を開いて、「機」という漢字の成り立ちをじっと眺めてみました。
木へんに、右側は「幾」という字。
古代中国の最も古い辞書『説文解字(せつもんかいじ)』には、こんな風に書かれています。
「機は主として発する所の謂(いい)なり」
……ちょっと難しく聞こえますが、要するに「矢を放つための引き金・ばねじかけ」のことなんだそうです。
古代の強力な弓である「弩(いしゆみ)」の、指先でカチッと引くあの金具の部分。
わずかな力で触れるだけで、張り詰めていた弦が一気に解放され、矢が遠くまで勢いよく飛び出していく。
その心臓部となる仕掛けを、昔の人は「機」と呼びました。
さらに時代が進むと、縦糸と横糸を巧みに交差させて布を織り上げる「織機(はたおりき)」のことも指すようになります。
つまり「機」の原点は、小さなきっかけで全体をダイナミックに動かす「からくり」だったのです。
なぜ「からくり」が「チャンス」に変わったのか
弓の引き金や織機の仕掛けだった「機」が、どうして「機会」や「好機」のような目に見えないタイミングを表すようになったのか。
そこが知りたくて、さらに白川静さんの字書などをめくっていきました。
引き金というのは、ほんの少し指を動かしただけで、物事の結果をガラリと変えてしまいます。
そこから古代の人々は、「ものごとが大きく動き出す、かすかな兆し(きざし)」のことを「機」と呼ぶようになったそうです。
目には見えないけれど、水面下で運命の歯車がカチリと噛み合う瞬間。
今まさに動くべき絶妙なタイミング。
それが「時機」であり、「契機(きっかけ)」であり、「機会」という言葉の正体でした。
ただの「チャンス」というよりは、複雑に組み合わさった見えない仕掛けが、ふとした瞬間にカチッと音を立てて作動するイメージ。
そう思うと、なんだか急に「機」という字が生き生きとして見えてきませんか。
一方の「転」は、どこへ向かって転がるのか
では、もうひとつの文字である「転」はどうでしょう。
旧字体は「轉」と書きます。
左側はもちろん「車」ですが、右側の「專」という部分は、糸巻きを手でくるくると回している姿から生まれた文字なのだとか。
つまり「轉」の本来の意味は、車輪がくるくると回転して、前へと進んでいく様子。
車輪がぐるりと回れば、当然ながら今まで見えていた景色が変わり、向かう方角も変わっていきます。
そこから「ころがる」「方向が変わる」「別の状態へうつる」という意味が広がっていきました。
ゴロゴロと無目的に転がっていくというより、車輪がひと回りして新しい方角へと進み出す力強さが、この字の根っこには込められていたのです。
「転機」という言葉は、いつから使われていた?
車輪が向きを変える「転」と、運命の引き金である「機」。
このふたつが合体した「転機」という言葉は、一体いつ頃から私たちの生活に現れたのでしょうか。
日本国語大辞典や古い文献をめくっていくと、実はこの言葉、江戸時代までの古典文学にはほとんど顔を出しません。
広く一般の文章や小説で見かけるようになるのは、明治から大正にかけての近代以降のことなのです。
明治時代、日本には西洋から新しい概念や学問がどっと押し寄せてきました。
英語で言う「turning point(ターニングポイント)」や、状況がガラリと変わる節目を日本語に翻訳する過程で、この漢語がぴたりとハマったのかもしれません。
大正時代には、作家の伊藤野枝が『転機』というタイトルの小説を発表するなど、文学のなかでも「生き方の舵を大きく切る瞬間」として描かれるようになっていきました。
昔の人も、時代が激しく移り変わる荒波のなかで、自分の進む道を見つめ直しながら、「ここが私の転機だ」と胸に手を当てていたのかもしれません。
偶然がカチリと鳴る日を、のんびり待ってみる
こうしてふたつの漢字をじっくり見つめ直してみると、「転機」という言葉への印象が少し変わりました。
私たちはよく「何か転機を起こさなきゃ」「変わらなきゃ」と肩に力を入れてしまいがちです。
でも、もともと「機」は精巧なからくり。
自分の力だけで無理やり起こすものというよりは、日々の暮らしのなかでコツコツ紡いできたものが、ある日ふとした偶然でカチッと噛み合うようなものなのかもしれません。
何気なく手にとった一冊の本。
ふらりと立ち寄った散歩道で見かけた景色。
たまたま交わした、誰かとの他愛のないおしゃべり。
そのときは気づかなくても、振り返ってみれば、小さな引き金が静かに引かれていた。
人生の車輪は、そんな些細なきっかけで、案外なめらかに向きを変えていくものなのかもしれません。
だから今日も焦らず、大きな目標に気負いすぎず、目の前の小さな歯車をひとつずつ回しながら、のんびり歩いていこうと思います。


