窓の外で、しとしとと静かに雨が降り始めた午後。
「あいにくの雨模様ですね」
そんな風にメッセージを送ったり、誰かと会話したりすることってよくありますよね。
傘をさしながら歩く人たちの色とりどりの傘を眺めつつ、雨が降っている情景そのものを「雨模様」と呼ぶ。
私自身、なんの疑いもなくそう思い込んで使っていました。
ところが、いつものように辞書をぱらぱらとめくっていたとき、思わず息を呑んでしまったのです。
そこには、いま目の前で起きている景色とはまったく違う説明が並んでいました。
え、雨模様って、雨が降っていることじゃなかったの?
気になってソワソワが止まらなくなり、手元の広辞苑や文化庁の調査データを引っ張り出して、この言葉の本当の姿を確かめてみることにしました。
辞書が語る、本来の「雨模様」の姿
まずは、机の上にどっしりと置かれた『広辞苑』を開いてみました。
「雨模様(あめもよう)」の項目を引いてみると、そこには「→あまもよう」と誘導の矢印がついています。
促されるまま「あまもよう」のページを開いてみると、こんな語釈が目に飛び込んできました。
「雨の降りそうな空の様子。あまもよい」
……雨が降りそう。
つまり、「まだ一滴も雨は降っていない状態」のことだったのです。
空一面にどんよりと灰色の雲が垂れ込めていて、「今にもポツリときそうだなあ」「傘を持っていったほうがいいかな」と空を見上げている、あの時間。
それこそが、言葉の本来の居場所でした。
すでに傘を差して歩いている状態を「雨模様」と呼ぶのは、辞書の世界では長いあいだ「本来の意味とは違う」とされてきたのです。
「もよう」の正体は、デザインの模様ではなかった
では、どうして「降りそうな空」のことを「もよう」と呼んだのでしょうか。
私たちは「模様」という漢字を見ると、どうしてもチェック柄や水玉模様のような「デザイン・絵柄」を思い浮かべてしまいますよね。
でも、語源をさらに深く遡っていくと、まったく別の日本語に突き当たります。
それが、広辞苑にも書かれていた「雨催い(あまもよい)」という言葉でした。
「催す(もよおす)」という言葉には、「兆候があらわれる」「そうなりそうな気配が立ち込める」という意味があります。
眠気を催す、涙を催す、というときの、あの内側からじわじわと湧き上がってくる感覚です。
空が雨を降らせようとして、じっと息を潜めて準備をしている気配。
それが「雨催い(あまもよい)」であり、その音が長い年月のなかで少しずつ変化して、いつの間にか「雨模様(あめもよう)」という漢字が当てられるようになったのです。
デザインの模様ではなく、「何かが起きそうな気配」そのものが、この言葉の根っこにあった正体でした。
文化庁のデータが明かす、現代のリアルな実感
「でも、みんな雨が降っているときにも使っているよね?」
そう思って、文化庁が定期的に発表している「国語に関する世論調査」のデータを調べてみました。
すると、とても興味深い数字が浮かび上がってきたのです。
平成22年度の調査で「雨模様」の意味を尋ねたところ、結果はこう分かれていました。
・本来の意味である「雨が降りそうな様子」と答えた人:43.3%
・「雨が降ったりやんだりしている様子」と答えた人:47.5%
なんと、すでに本来の意味を答えた人を、「降ったりやんだり」と答えた人が上回っていたのです。
さらに近年の調査や分析を見ても、小雨が降っている状態を含めて使う人の割合はますます増えており、今や半数以上の人が「雨が降っている情景」として受け取っていることが分かります。
新聞の校閲記者さんたちの記録を覗いてみても、「雨模様」と書くと読者によって受け取り方が真っ二つに分かれてしまうため、記事ではあえて「曇り空の下」や「小雨のなか」と言い換える工夫をしているのだそうです。
言葉がまさに今、古い意味から新しい意味へと脱皮している真っ最中なのだと実感させられます。
変わっていく言葉の、愛おしいグラデーション
本来の意味を知ってしまうと、「雨が降っているときに雨模様と使うのは間違いなんだ」と、誰かを正したくなってしまうかもしれません。
でも、辞書の歴史をじっくり眺めていると、そんなに目くじらを立てる必要もないのかな、と思えてきます。
空からポツポツと落ちてくる雨粒。
アスファルトがまだらに濡れて、道行く人が慌てて傘をパッと開く。
降ったりやんだりしながら、刻一刻と表情を変えていく空の気まぐれ。
そんな「雨にまつわる一連の情景」をまるごと包み込んで表現したくて、人々は自然と「雨模様」という言葉を雨の日の景色に重ねてきたのではないでしょうか。
言葉は、ガラスケースに飾られた標本ではありません。
何百年ものあいだ、たくさんの人たちの口から口へと手渡されながら、少しずつ形を変えていく生き物のようなものです。
「あまもよい」と空を不安そうに見上げていた昔の人の息づかいも。
雨粒を見上げながら「雨模様だなあ」としみじみ呟く現代の私たちの実感も。
どちらも同じように、空の機嫌をそっと気遣う、優しい眼差しから生まれていることに変わりはありません。
窓辺で雨粒を数えながら
机の上の資料を片付けて、もう一度窓ガラスに目をやりました。
ガラスの表面を、細かな水滴がツーっと一筋、静かに滑り落ちていきます。
「いまにも降りそう」だった空が、ゆっくりと息を吐き出すようにして雨を降らせ、街を深い潤いで包んでいく。
その移り変わりの全部をひっくるめて、「雨模様」と呼びたくなる気持ちが、なんだかとてもよく分かる気がしました。
言葉の正しい・間違いにとらわれすぎて、目の前の景色を楽しめなくなってしまっては、少しもったいないですよね。
もし次に、厚い雲が空を覆い尽くした日には。
「あ、これが昔の人が言っていた、本当の雨模様だな」
そんな風に心の中でこっそり思い出しながら、雨が落ちてくる直前の静けさを、のんびり味わってみようと思います。


